朝礼や唱和は、古い仕組みではない。古いやり方が問題だ。

 

「昔はよく、会社の朝礼で、社訓の唱和とかやってましたよね。
当時はあまり意味も考えず、何だか古臭いやり方だと感じてましたが、
よく考えてみると、結構、意味があったのかもしれませんね。」

先日お会いした、ご自身の腕一つで事業を興して、
着実な成長路線を築きあげられてきた、とある社長の深い一言です。

武道家としてもご活躍されており、後進の指導においても、
道場訓を唱和するご経験から、その意義をお感じのようでした。

果たして、朝礼や唱和といった仕組みは、
本当に古い「昭和の遺物」なのでしょうか?

 

1)朝礼や唱和そのものが古いのではない

経営者の理念や価値観といった、極めて重要なことを、
すべての社員に、少しでも深く理解してもらうことは、
経営の根幹です。

私が昔いたユニクロでも、トップの柳井正社長が、
経営者としての理念を浸透させるべく、常に語り続け、
その意味を社員同士でも議論する、そんな場がよくありました。

昨今、SNS上に動画を公開して有名なGP社の朝礼は、
昭和の体育会的なノリを、現代風にうまくアレンジして、
社員の言動を見事にコントロールしています。
(ベンチャーで離職率2%は驚異的です)

<ご参考> GP社の朝礼

見た目の方法が「古い」か「古くない」かではなく、
社員の判断や行動に、唱和した理念が本当に影響しているか、
で評価すべきです。

 

2)形式だけ残ると、朝礼や唱和は一気に形骸化する

理念を「読む」「唱える」「聞く」こと自体が問題ではありません。

ただし、習慣化によって、単なる「毎日の行事」として定着すると、
それが目的化して、「何のために」が、失われてしまうことが問題です。

いわゆる「脳死」状態で、社員は同調圧力の中、
まじめにやっている「フリ」をする、
そんな風景が、日常化していきます。

その結果、そこで語られている大切な言葉の価値が、
一気に陳腐化してしまい、本来重要な理念を聞いても、
なぜか「安っぽく」聞こえてしまう、という副作用があります。

社長にとっては「渾身の言葉」であっても、
社員にとっては、ただの「早口言葉」みたいになり下がり、
こうなってしまうと、もう取り返しがつきません。

ましてや、唱和した内容と違った判断や行動が、
実際の職場で放置されていると、理念の説得力は地に落ちます。

 

3)朝礼や唱和は、理念を日々の仕事につなげてこそ生きる

人間は弱い生き物です。
一度聞いた大切なことでも、なかなか行動には移せません。

そんな時に必要なのは、同じように考えて、
行動しようとしている仲間です。

その仲間の存在を体感し、確認できるのが、
朝礼での唱和のような場面です。

そして、唱和する内容を、実際の判断や行動、顧客への対応、
といった日常に結び付けるところまで、
キッチリとつなげているのか、これが大きな分岐点です。

単なる「早口言葉」になってしまうリスクを、経営者は十分に認識し、
前日の判断や行動は、理念に照らしてどうだったのか、
今日の職場での判断や行動で、どう実践するのか、落とし込む。

そういった日々の積み重ねが、地味な筋トレと同じように、
やがて血となり肉となり、組織の能力として蓄積され、
他の会社には到底マネのできない、強い組織となります。

 

皆さんの会社では、経営者の理念を社員の日常に直結させる、
具体的な仕組みを回し続けていますか?

 

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